競馬

サイレンススズカとステイゴールド

競馬が好きである。

特に90年代の後半のころは、夢中になって見ていた。

一番好きなのは、サイレンススズカとステイゴールドである。

この話をするとブログではとても収まりきらない。

本が1冊できてしまうくらいの分量になる。

 

いまでも思うのは、98年の天皇賞(秋)で、サイレンススズカが

故障をすることなく、最後まで無事に走り終えていたら、

一体どれほどのリードで勝っていたのか?である。

勝ち負けに絡んだか、ではない。どれくらいのリードか、である。

 

1枠1番1番人気。まるでサイレンススズカのために

お膳立てられたかのようなレースだった。

主役の登場に観客は大いに沸いた。

前走の「毎日王冠」でエルコンドルパサーとグラスワンダーという

最強外国産馬2頭を蹴散らして、最強の名を欲しいままにしていた。

宝塚記念で勝利して、GⅠの座は掴んでいたものの、

陣営は、当初から天皇賞(秋)を最大目標として据えていた。

サイレンススズカのためのレース、そんな様相さえ呈していた。

 

サイレントハンターが並びかけるかと思いきや、

その前を駆け抜けていく。

サイレンススズカの一人旅が始まった。

2番手のサイレントハンターまでおよそ10馬身、さらに10馬身うしろに

集団が列をなす。ありえない逃げだった。

この日のサイレンススズカは、いつになく好調だった。

1000メートルの通過は57秒。普通なら飛ばしすぎである。

しかし、サイレンススズカにとっては、普通のことだった。

ありえないくらいの大逃げをうち、そのままのペースが落ちることなく、

ゴールまで疾走してしまう。

しかし、第四コーナーの大けやきを曲がったところで、あの悲劇が起きる。

 

当日約10万人近くいる観客の前で起きた事故だった。

サイレンススズカは足を引きづり、悲痛な面持ちで痛みをこらえている。

最終コーナーを回ったあたりで、レースを中断。

馬運車に乗せられて、ターフを去っていった。

その後、二度とわたしたちの前に現れることはなかった。

 

サイレンススズカのことを思うと、いまでも胸が痛くなる。

もう20年も前のことだけど、いまだに昨日のことのように、

あの出来事を思い出す。

 

中距離で活躍をしたサラブレットは山のようにいる。

ジャスタウェイ、ジェンティルドンナ、ウォッカ、ディークインパクト。

中央競馬で輝きを放った、名馬たちである。

そんな馬たちを勝負させたら、一体どうなるのか?

競馬ファンであれば、誰だって一度は想像することである。

そして、これは確信を持って言えることだけど、

中距離であれば、サイレンススズカが最強である、とわたしは思っている。

 

上に挙げた4頭は強烈な差し脚を持っている。

しかしわたしは、サイレンススズカがスタミナ切れを起こし、

ほかの馬に差されてしまう姿が、まったく想像できないのだ。

 

天皇賞(秋)に勝ったのは、当時8歳のオフサイドトラップだった。

ステイゴールドは2着に入った。

シルバーコレクターと呼ばれたステイゴールドは、ここでもまた2着に入った。

ステイゴールドのことを書くと、この場ではとても足りない。

波乱万丈の劇的な人生を歩んだステイゴールドは、

サイレンススズカと並び、もっともお気に入りの馬である。

これはまた別の機会にゆずろうと思う。