オピニオン

【論考】ネットの情報が、後世の人に見い出される可能性について

ネット上にあるものは、ずっと先まで残る。

新しいものが次々と更新されていくので、わたしたちが普通に

利用している分においては、古いものが引っ張り出されることはない。

 

しかし、残っていることは確かである。

もしかしたら、お宝情報とか、価値を見い出されないまま流れて

しまったものとかが、あるかもしれない。

それが長い時間を経て、死後とかあるいはずっと先の後世の人に

見つけ出されて、評価を受けるといったことが起きたりしないだろうか?

 

小説家の未発表原稿が見つかったとか、音楽家の未発表曲などが

ときどきニュースになったりするけれど、もしかしたらネット上の

どこかに埋もれていたものが、何かの拍子に偶然発掘された、

なんてことが今後あるかもしれない。

 

ネットは情報の海である。どうでもよいゴミのようなものもあれば、

ものすごく有益な情報もあるように思う。

情報を活かすか殺すか判断するのは、いまのところ人間しかできない。

テクノロジーがもっと発達すれば、AIによって捜索が可能になるかもしれない。

インターネットが誕生してまだ20年ちょっとくらいだろうか?

これが50年や100年と歴史を重ねていくと、今後絶対に、

そういったことが起きてくると思うのだ。

そういうことを考えると、少しだけワクワクするのは、

わたしだけだろうか?

 

バッハの無伴奏チェロ組曲は、長らく歴史の表舞台に出てこなかった。

チェロのために書かれた練習曲と考えられていて、

そこに芸術性があるといったことは、誰も思っていなかった。

100年以上もの間、ずっとそういった扱いを受けていたのだ。

あるときに、チェロの神様である、パブロ・カザルスによって見い出され、

この作品は広く知られるようになる。やがて芸術作品として昇華した。

いまやチェロ奏者にとって、誰もが必ず弾く曲である。

1世紀ものブランクを経て、価値が見直されるというのは、

とてつもないことである。

 

今後もしかしたら、ネット上に公開してずっと放置されている

ブログやツイッターなどが死後に見い出されて、スポットを集めて、

出版される、みたいなことがあるかもしれない。

 

モーツァルトが現代に生きていたら、きっとツイッターで

面倒くさいとかダルいとか、しょっちゅうつぶやいていた、

みたいなことがあったかもしれない。

『アンネの日記』がネット上に綴られていても、何らおかしくはない。

ネットは記録として残るので、これらは大変貴重な資料になる。

50年や100年先には、ネットの古い情報が、

研究の対象になっていても、なんら不思議ではないと思うのだ。

 

ネットは陰口や悪評に使われることが多いけれど、

良い使い方というのも絶対にあると思うのだ。

いまやネットは市民権を得て、徐々に整備されつつある。

今後も、ますます使いやすくなっていくに違いない。

 

ネットは情報の宝庫であり、お宝の山だとする考え方も、

将来的には出てきたりすると思うのだ。

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