雑記

日本の面接は機能しているのかについて考察してみた ~結果、面接で落ち込む必要などない~

日本の面接は本当に機能しているのか?といった内容のネット記事を見た。

かねてからわたしは、面接について疑問に思っていることがあったので、

いろいろと考えさせられることが多かった。面接は本当に機能しているのか?

誰もが一度や二度は考えたことがあるテーマだと思う。

正解がないだけに、面接する側もいい加減にやり過ごしているのではないかと

疑ったりもした。採用する側が上から目線で、取ってやるくらいの気持ちで

やっていないだろうか?そんなことを思うと、ずっとモヤモヤした感情が

抜けずにいたりした。

 

就職試験や昇進試験などさまざまな場面で、面接によって合否を決める。

わたしは面接でいい思いをしたことが1つもない。

人事担当者の中には、2~3分くらい話をすれば、相手のことはだいたい分かる、

なんて豪語する人もいる。経験が為せる技、ということを言いたいんだと思う。

たしかに普通の人よりは、人を見る目は兼ね備えているように思う。

自分には見えていない部分が人には見えている・・・。

そうやって気付かされたりしたことは、これまでに何度か経験がある。

人を見る仕事をしているのであれば、そういった部分に長けている人は、

きっといるように思う。

 

でも、いざ会社に入ってみると、一体誰があいつを取ったんだ?

面接官は何を評価したんだ?と思わず疑いたくなるような人は必ずいる。

もちろん、さまざまな事情があると思う。

辞退するのを見越して、多めに取っていることもあると思うし、

似たような人ばかりを取ってもつまらないから、

数人くらいは少し頭のネジが1本抜けているみたいな人を入れたほうが、

組織としてうまく回る、そういう狙いがあるのかもしれない。

もしくは人手不足で、誰でもいいから取りあえず取る、なんて考えているのかもしれない。

ただ、いくら多めに見積もっても、納得のいかない人選というものが

絶対にあったりするものなのだ。

 

審査するということは同時に審査される、ということでもある。

真剣勝負の場なのだから、面接する側も同じくらい緊張してしかるべきだと思う。

面接と比べていいものかは分からないけれど、審査という意味においては、

M-1グランプリを例えに出してもそんなに間違ってはいないと思うので、

以下に挙げてみる。

M-1グランプリの場合、審査員が一様に頭を抱えて悩んでいる。

お笑いの頂点を極めたレジェントたちが、若手たちの本気でぶつかっていく漫才を見て、

なにがもっとも正しい判断なのか、ものすごく頭を悩ませている。

M-1グランプリは成績次第で、若手の未来が変わってくるのだから責任重大である。

M-1グランプリの審査については、いろいろと賛否の声が上がったりもするけれど、

それほど間違っているようには思わない。審査員も見られているという緊張感があって、

真剣勝負の場に身を投じているのがよく分かる。

それが可視化されていれば、たとえ落ちたとしてもさほど文句を言う気持ちにはならない。

 

フィギュアスケートの採点なども、いろいろと言われたりもする。

極端に高い点数がつけられることもあれば、不可解な点数がつくこともあって、

何が正解なのかは分からない。見方によっては贔屓しているようにも映るし、

地元判定をしているのではないか、という疑いを向けたりもする。

とにかく採点競技や人が人を評価するというのは、非常に難しいことである。

 

面接官もそれくらい緊張感を持ってやるべきである。

常に迷いながら最善を尽くしている、そんな努力の跡が欲しい。

採用してやるみたいな、上から目線のようなことはして欲しくない。

面接というのはフィードバックがないことがほとんどなので、

何が評価されて何がダメだったのかが分からない。

結果、理不尽な仕打ちを受けて落ち込んでしまう、といったことが非常に多い。

面接を受ける側は、そういった恐怖に立ち向かっているのだから、

せめて面接をする側は、緊張感を持って本気でやっている、という姿勢を

見せて欲しいと思う。

 

もっともこんなことを言うのは、わたしが面接でいい思いをほとんどした

ことがないからでもある。

就職試験は散々だったし、会社の昇進試験も落ちまくった。

原因は、わたしの準備不足の部分が非常に大きい。

しかしそれでも、どこか納得できない部分があって、

心の中のモヤモヤがいつまでも収まらない、といったことがあったりする。

たった数分の面接で一体何が分かるのだろう?そんな風に思ってしまう。

 

しかしどんなに切々と訴えたところで、結局はシンプルな結論に行き着く。

採用する側が仕事をしたいと思う人間を取り、そうでない人を落とす、

ということである。

決定権は採用する側にあるのだから、その判断にいくらケチをつけたところで、

何かが変わることなどない。それを素直に受け入れるしかほかにないのだ。

ただ、採用が欲しいあまり、自分を押し殺して相手に合わせる必要はない。

小手先で運良く受かったとしても、その先もずっと続いていくのだから、

ずっと無理が続いていくことになる。それはお互いにとって不幸でしかない。

 

面接に落ちても落ち込む必要なんてない。

面接なんて相性である。相性は努力で何とかできるものではない。

しっかりと準備をすることが最低条件だが、やるべきことをしっかりやっていれば、

あとは運に身を任せるだけである。ダメだったとしても深く考える必要なんてない。

面接は審査される場でありながら、同時に審査する場でもある。

不可解な形で落とされてしまった場合は、そういう会社なのだという目で、

審査すればいいと思うのだ。

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