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【論考】資本主義における競争と共生のバランスについて

日本の歴史を振り返ると、多くの人が農業をしたりモノづくりをしたり、いわゆる1次産業に従事して暮らしている期間が圧倒的に長かった。

東インド会社が始まって以来、株式会社の歴史はせいぜい400年にも満たない。

長い歴史の中からしてみれば、ほんのわずかな期間に過ぎない。

高度資本主義社会に突入することにより、多くの人がサラリーマンとして従事することになる。

残業をいとわず、仕事に真面目に取り組んでいく・・・、サラリーマンたちの絶え間ない努力によって、わたしたちはさまざまなものを手にして、より豊かな暮らしができるようになった。

社会を支えている一人ひとりの努力があってこそ、世の中が安定してうまく回っているのである。

 

多くの人がサラリーマンになり、民間の論理に従って生きているということになれば、当然その価値観が芽生えてくることになる。

古くから農業やモノづくりを営んできた人と、サラリーマンの人たちというのは、当然考え方がそれぞれ違ってくる。

ものすごく乱暴に括ってみれば、サラリーマンの世界は競争、農業やモノづくりを営む人たちの世界は共生、となるかもしれない。

 

競争を強いられるサラリーマンの人たちと、共生をモットーに生きる農業従事者。

この2つは決して相反するものではない。互いにクロスして混じり合い、皆がどちらの要素も持っている。

ところが資本主義が高度に発達するにつれて、この溝はますます開いているように感じる。

競争がますます先鋭化していくにつれて、共生に対しての余白の部分が徐々に薄れている。

最近では、都会の暮らしよりも田舎暮らしに興味を持つ若者が増えている。

仕事を辞めて農業がしたいというサラリーマンは、競争への疲れと共生への憧れの気持ちがあるのではないだろうか?

 

資本主義の世の中に生きている以上、競争が基本原理である。

徒競走でみんな一緒にゴールする、といった競争の否定は、絶対におかしい。

競争をしてこそイノベーションが生まれて、新たな世界が生み出されていく。

わたしたちが成長をしていくためには、競争こそがもっとも健全な姿である。

 

ところが何もかも競争原理を当てはめていいわけではない。

競争に当てはめていいものとダメなものがある。

アメリカは、金持ちでなければきちんとした医療が受けられない世の中になっている。

貧困や最低限の生活すら保障されず、すべての物事に競争原理が適応されるのであれば、絶対に間違っている。

何もかも競争を強いられる世の中は、非常に生きづらい。

 

資本主義によって、わたしたちは多くの豊かさを得ることができた。

ところが、資本主義が生み出した弊害があることも確かである。

思想は往々にして暴走しがちである。

お金儲けで成功した人たちの声ばかりに耳を傾けていれば、どこかで判断を誤ってしまうことになる。

格差はますます開いていき、社会の分断を招いてしまう。

これからの時代、いままで以上に、資本主義に対する疑問の目を向けることが大切になってくると思うのだ。

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